
「山田さん、それは違うよ」
珍しく飯尾さんが強い口調で反論しました。
「だいたい、無意識にやらされているだけじゃ何にも進んではいないんだ。やっている意味を自覚しなければ。そのためには例えば協会側が毎日来場者の前に立って説明すればいいんだ。」
この日の私と飯尾さんの議論のテーマは、愛・地球博会場の分別ゴミと飲食後の食器返却のこと。
万博会場内には分別ゴミ箱が設置されていて、不法投棄のゴミは全く見かけない上、食事の場所では人々はとても従順にその場のルールを守って、遠い食器返却口まで食器と食べ残しを自ら持って行きます。食べたその場に放置する人を一人も見かけません。
私は「こういう環境下になれば、人々は自然と分別や返却のルールを守るんですね。これこそ愛・地球博最大の成果じゃないかな。」と、素朴に飯尾さんに言ったのです。それが、彼の問題意識に火を付けた発端でした。
「やることを強いる状況下で従順に振舞うことは、かえって危険だ。自分では何も考えていないから、違う指示が飛んでくればたちどころに行動が変わってしまうんだ。これではなにも定着していないよ。」これが飯尾さんの言い分。
「この万博を通じて人々の環境意識を変えるためには、分別のルールや意味をきちんと説明すべきなんだ。そうした具体的な学びを通じて、はじめて環境配慮の行動は社会に定着していくのだ。」…と、いうわけです。
私は少しも反論する気がありませんでした。全くその通りだからです。
しかしそれでも、愛・地球博会場での光景は、私にはとても好ましいものに見えたのです。最初はやらざるを得ないからやることでもいいじゃないか。そのうちきっと、そうする事の意味を考え、意義を見出して、人々の環境意識や行動がより好ましい方向へとシフトしていくのだろうから…。
考えてみると、この万博は人々にさまざまな無理を強いています。元来の会場予定地であった愛知県瀬戸市の海上(かいしょ)の森が環境保護運動の結果、規模が大幅に縮小されました。代わって主会場となった長久手青少年公園もまた東半分の森を残した代償として西半分にパビリオンなどの施設を集めざるを得ず、空地には申し訳程度の緑しかありません。
多くの飲食施設は、仮設である点や収容能力の問題もあってオープンエアの下での食事ということになります。緑も乏しいとなれば、人々は建物の日陰を求めて集中します。普通なら客同士のトラブルの一つや二つ起きてもおかしくない状況です。でも、不思議と平穏なのです。
例えば長久手日本館前の三層高床式のフードコートは一階フロア全体が日陰になっていて、その一画に足を踏み入れると自然のゆるい冷気が上気した体には心地良いです。
ようやく見つけた空席を確保してから、対面式の仮設店舗で飲み物や簡単な食事を購入し(値段とボリュームにはいささか不満が残りますが)、席に戻ってフウと一つため息をつくと、さわやかな風が吹き抜けていくのを感じることができます。こんな感覚、ひょっとすると一日中外で遊んでいた子どもの時以来かもしれません。緑が乏しいゆえに、人工的な空調が期待できないがゆえに、つまりは無理を強いられた結果、人々は久しく忘れていた自然の恩恵を感じることができるのです。もしもこれが博覧会協会の企(くわだ)てだとすれば、なかなかの出来なのですが…。
そして、冒頭の私の偽らざる感想です。
「こういう環境下になれば、人々は自然と分別や返却のルールを守るんですね。これこそ愛・地球博最大の成果じゃないかな。」…
最近の愛・地球博会場には連日10万人以上の人々が訪れています。繰り返しになりますが、緑は乏しく、休息や食事の場所の多くはオープンエアの下です。
この会場は、本当に良い風が渡るロケーションなのです。先ほど紹介したフードコート階下に限らず、グローバル・ループの上も下も、東の森林の中を巡る小道でも、確かに風は渡っていきます。
炎天下の戸外にいればいるほど肌が敏感になってきて、微風でも感じ取れるようになります。自然っていいなあ、という気に自ずと人はなるのです。
あるいはまた、お互いに席を譲り合っての戸外での食事。「どこからお越しですか?」「どこを見ましたか?」知らない人とのこんな会話、いつ以来だろう。外での食事がこんなに心を解放するとは…、戸惑うくらいの発見です。
そして人々は本当に遠いところまで食器を返却に行くのです。確かにデポジットも導入していませんし、持って行きさえすれば、あとはバイト君たちがやってくれます。人々の意識の底までは響いていないかも知れません。
でも多くの人たちが環境に優しい暮らしについての社会実験に参加していることは間違いありません。
こうして深く静かに人々の心の中が変わっていくとしたら…。
後の時代に振り返って、人々の環境意識が変わっていく契機に愛・地球博が大きな役割を果たしたと評価されたら…。
そう考えると胸がドキドキしてくるのは、私だけでしょうか。
*次回は愛・地球博のもう一つの拠点、瀬戸会場についてご紹介する予定です。
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愛・地球博会場内の分別ゴミ箱です。 |
長久手会場東側の森のループ上から会場の西半分を眺めたところです。右が名古屋市のパビリオン「大地の塔」、左が長久手日本館です。 |