
やれやれです。本当に。百八十五日間という会期も、終わってしまえば矢のごとし。愛・地球博(愛知万博)が、幕を閉じました。
紙面を通じてなんだかんだ言ってきたのも、気持ちよく閉幕のその日を迎えたいと思えばこそ。博覧会協会の発表では、一般入場者二千二百四万人のうち、約八割が満足の意を示したとのことですが、皆さんはいかがでしたでしょうか。僕は正直、「ほんとかいな」と、これまで同様、懐疑の目で見てはおりますが…。
現実に会場へ何度も足を運びつつ、入り口でペットボトルを取り上げられて、警備員(こういうところに、記者会見で成果を発表するようなえらいさんは出てきませんよね)ともめる人たち、夏の暑さと人いきれにぐったりと疲れ果て、地べたに倒れ込む人々の怒りともあきらめともつかぬ表情を、毎日のように見てきたこともあります。しかし、それより何より、主催者があまりに自らの「成果」を自画自賛するのはいかがなものかと思う気持ちが強いと言うこともありますが…。
いずれにしても、まあ大過なくという意味でなら、とりあえず成功には間違いないということで、関係者の皆さん、長丁場お疲れさまでした。
しかし、僕個人は、愛・地球博には、「完成」などないものと思っています。
1999年、博覧会国際事務局(BIE)は、それまで「見本市」のニュアンスが強かった万博を、「地球的規模の課題解決の場」に改めるという方針の大転換を行いました。
それを受けて、2000年のドイツ・ハノーバー万博が、「環境」というテーマを初めて提示しました。
しかし、きまじめなドイツ人がきまじめに取り組んだ「環境」は、さすがに娯楽性にやや欠けていたのでしょう。入場者は目標(それでも千八百万人です!)に及ばず、多額の赤字を出しました。一般的には「失敗」の評価を受けています。
しかし、新しい課題に初めて、しかも真正面からその後の道筋を開いたという点で、ドイツの挑戦は決して失敗ではないと考えます。なぜなら、愛・地球博の成功が、ハノーバーが敷いた「環境」という路線の上で、そこに欠けていた「娯楽性」も十分取り入れたことによるからにほかなりません。
その意味で、次回上海万博が重要です。なぜなら、資源やエネルギーをがぶ飲みしつつ、急速な経済発展を続ける中国は、世界の環境問題のかぎを握る国であり、上海は中国躍進の象徴ともいうべき都市だからです。
ハノーバーで芽生え、愛知で育てた「環境」という課題へ取り組む姿勢、それを、上海へ届けること、「よりよい都市、よりよい生活」という、ともすれば開発型に回帰してしまいそうなテーマの上海博に、「環境」という遺伝子を埋め込むことが、日独万博関係者、そして来場者に課せられたある主の責任ではないでしょうか。
その意味で愛・地球博はなお「未完成」であり、終わっていないと僕は考えます。
国と国との関係だけではありません。
例えば、愛・地球博の会場で初めてごみの分別を体験したという人、省エネのシステムを知ったという人も大勢いると思います。そうした人たちが、日常の中にその体験を取り入れ、それを定着させることができるまで、そしてさらに行動を続けようという思いを持ち続ける限り、愛・地球博は続きます。万博会場から持ち帰った「環境」という種を育てる意思がある限り、日独共作の「終わらない物語」は続きます。
(了)